妖怪や怪物、物の怪と言うよりは敢えてUMAと言おう。私はかつてUMAが大好きだった。ビリーバーではなかったが、まだこの世にブログというものすら存在する前の懐かしいインターネットで、手ずから懐疑的スタンスからUMAを検証するサイトを作っていたことさえあった。
学生の頃にはキャンプツーリングをしながら東北・遠野の河童渕にも訪れた。
そんなわけで、さいたまに住んでから地図を見るといつも隣のページにチラチラしている牛久沼の「河童の碑」なるものが気になって仕方なかった。だが、牛久沼というのはちょっと行くには遠すぎて、ツーリングだと意気込むには近すぎる微妙な距離。
それでずっともやもやしていたのだが、1月にしては少し暖かった今日、昼前に家を出てショートツーリングをするにはほどよいだろうということで、思い立ってから何年越しかわからない河童クエストを決行することにした。
牛久沼 三日月橋に佇む河童 |
以下は、牛久沼河童クエストの報告である。
決行日は1月29日。さいたま基準でも連日最低気温が0度を下回る時期だが、この土日は少し暖かい空気が入っているようで最高気温は13度の予報。
本当は銚子→九十九里浜→アクアラインという房総北部暴走(しない)ツアーを検討していたのだが、「やっぱ寒いだろうな」というネガティブな気持ちとここのところのハードワークによる疲れか寝坊し、家族と朝食をとってから11時に家を出た。
国道6号線をメインで使う経路はまず快適に走ることはできないだろうから気がすすまない。そこで国道4号バイパスから国道16号、その後は県道3号で芽吹大橋をわたり、県道46号で牛久沼にアプローチするルートを考えた。
休日の昼間、当然クルマは多いが、それなりによく流れる道が続いたのでルート選択はまずまずだったと思う。しかし、やはり市街地近郊のバイパスと市街地そのものの連続なので、バイクは常に直立だし、景色もみるものはないし、はっきり言って面白いことはなにもない。ただ久々にバイクに乗ってるなというくらいの楽しみしかない。
ある程度牛久沼に近づいてからは周囲に田んぼが増えて、「茨城って田んぼ多いなあ」と思った。そういえばウチでよく「茨城県産コシヒカリ」って食ってるな。けど、バイパスの両側に広大な田んぼが広がる(と言っても、果てしなく続く・・・というほどではない微妙な広大さ)という景色は、わが町さいたまの郊外あたりにもありがちな景色であるためにあまり新鮮味がない・・・。
県道46号に入ってすぐに不動院という寺院があり、えらく立派な五重塔のような建物が見えたりして興味をそそられたが、「寺がある度に停まっていたら進まねえよ」とスルーしてしまった。・・・思い返すに、写真くらい撮ればよかった。隣の肉屋も気になったし。まあいいか。
やがて田んぼの向こう、なぜかあぜ道に一列にクルマが駐車している。10数台か、それ以上いたろうか。なんだ?と思ったが、すぐにピンと来た。・・・・ヘラブナ釣りに違いない。
果たして、橋に差し掛かると緩い流れの沼のような川があり、座を拵えて糸を垂れる大勢の太公望が。となると、いよいよ牛久沼の領域に差し掛かったようだ。
そのまま県道を進むと国道6号に出てしまうため、えらく適当にそこらへんで南に右折し、河童の碑のありそうな方向へ進む。曲がったところにはツーリングマップルにも載っていない小さな神社があり、そこは看板によるとこの地で夜な夜な幽かに光るものがあり、なんと宝剣が見つかったと。で、それを祀ったとかそんなかなりファンタジーでありがたい縁起があるようだった。かなり寂れてたけど。なんというか、苔むすとかそういう感じの味わいでもなかったので特に写真も撮らずにすぐ発進。基本はせっかちです。
なんか適当に走っていたら住宅地になってしまったりしつつ、川沿いに出て南下すればいいはずとグイグイ行ったら、砂利道になってしまった。
牛久沼あたりの砂利道 |
行き止まりで謎の施設の駐車場に出てしまったが、どうやら公民館だったようだ。しかし狙いとしてはなかなかよかったようで、橋にタイトル写真の通りの河童像が。
橋にあったのと同じ河童が他にも |
河童王国とか言い出すのではというくらい、あっちこっちに河童像がある。・・・まあ4個くらいだけど。ただ、大きいものはどれもこのリアル系かつ黄昏気味な河童で統一されている。
この膝を抱えてうつむく寂しい河童の姿に、自分が昔に趣味で描いた河童のイラストを思い出してしまった。そういう絵を描いたのには理由があって、私はさまざまな方面の資料から判断した自分なりの見方として、河童というものは捨て子に由来すると考えているからだ。まあ、その話は割愛するが、ともかく、おそらくこの河童像にも何かの謂れはあるのだろうと思った。
と、歩いていてふとGoogleMapで「河童の碑」と検索してみたら、「ここから1km」と出ているではないか。すっかりこの像がそれかと思っていたが、確かに碑文がない。
地図で場所の検討をつけて再びバイクで走り出す。少し行くと「河童の碑」という道案内が出始めて、それに従って細い道を幾度か曲がると袋小路に行き当たった。
河童族の罠かとも思われたが、そこには小さな駐車場とトイレのあり、どうやらここから先は徒歩にて進めという意味らしい。道の角には河童族の境界石らしきものがあり「改善一歩」と刻んである。呪いの一種かと思われた。
バイクを下りて徒歩10秒ほどで、河童の碑は見つかった。
河童の碑 |
なるほど。先の河童像は、この河童の碑のレリーフを立体化したものらしい。とはいえ、木が生い茂っているために牛久沼もあまり見えず、いまいち河童の河童的な感じもなく、いささか物足りない感が・・・。まあ、こんなもんだよなと思いつつ来たのだけど・・・60kmくらいの道のりを。
これだけかあ・・・と思いながら裏も調査してみる。すると、古めかしい文語で碑文が彫られていた。明治元年何とかかんとか・・・・。どうせ最近に市が建てたものだろうと思っていたのだが、存外古いものらしい。ただ、漢字に少しカタカナを混ぜた文章は読むのが面倒なので、どうせどこかにあるであろう現代語訳を探すことにして周囲を探索することにした。
かっぱ松 |
ただ、松が細くて、あまり昔からある感じがしないのが気になった。・・・松って成長が遅いのかな?
さらに歩いていると、「雲魚亭」なる建築物が。実は看板で見かけた名前からして和風喫茶か定食屋だと期待していたのだが・・・資料館でした。
雲魚亭。小川芋銭資料館。 |
無料で見学できるそうなので入ってみた。小川芋銭のアトリエだったところだそうだ。小川芋銭と言えば確かに聞いたことがある。館内撮影禁止だったため写真にとっていないが、和風に見えてもどこかユーモラスで、洋画も学んでいたというからか、わりと現代の感覚でも馴染みやすさを感じる絵柄に思えた。
ただ、そうすると牛久沼の河童伝説というのは、つまり逆なのだろうか。河童がいたから碑があるのではなく、ここで小川芋銭が河童の絵を好んで描いたので牛久沼に河童の碑があると。
碑の「明治元年」というのは芋銭の生年で、建立は昭和26年だそうだ(それでもだいぶ古いが)。また、碑のレリーフは芋銭の絵ではなく、別の画家によるものだそう。
とは言え、河童伝承は芋銭が言い出す前にこの地にあったのだろうなとは思う。それこそ、全国のあちこちにあるのだし・・・それだけではなく、河童の碑に辿り付くまでにうろうろした牛久沼というエリアの雰囲気を、昭和26年、明治元年、それ以前と巻き戻して想像してみれば、確かに河童の気配はある。
円形ではない入り組んだ形の大きな沼で、現在のような道路は整備されておらず、人家も疎らで街頭もない。そこをクルマではなく徒歩で行くよりない。沼の際は泥が深く、葦ばかりが波を打つ。そうした場合、ここに河童の気配はあると感じた。
牛久沼、雲魚亭前より。 |
さて、河童クエストをいい感じで〆たところで、そこから帰宅すればよかったのだが、時間がまだ15時前だったのでつい先に進んでしまった。
真東へと進み、潮来へ。
その先の銚子に行くには時間が足りず、そんな半端に進んでどうするつもりだったのかと思うが、ともかくちょっと走り足りなかったのだ。
が、潮来に着く頃には16時を周り、この時期の日没間際。気温も下がってきて、「帰れば良かった」と後悔していた。
とは言え、何もないところでUターンも癪なのでとりあえず「道の駅いたこ」へ。
思ったより大きくて、たい焼き、たこ焼き、焼き鳥、焼き芋、焼きそば・・・と様々な焼き屋台が充実していた。が、ちょっとそういう気分でもなく。
結局、食堂の「ゆずかけそば 290円」を食った。本当は定食でも食いたかったが、時間帯で麺しかやっていなかった。とりあえず暖かいものでも啜っておけばと期待せずに安いものを頼んだのだが・・・。
道の駅いたこのかけそば。ちょっと食べかけ |
写真撮るなら綺麗なうちに撮ればいいのに、七味かけて一口食ってからなのでやや乱れていますが。これ、結構うまかった。関西風を名乗る白だしで、つゆはほぼ透明。だが、もちろん味はしっかりついている。昆布だしと思われるマイルドな味。たっぷりのネギが柔らかくていい感じだし、わかめや天かす、蒲鉾というのも、大したことは無い具ではあるが、290円のそばに載ってくるものとしてはかなり良い味だと思う。麺もつるっとしてよい。何割蕎麦だかどうかは不明だが、とりあえずモソモソしているような感じではなく、ちゃんと蕎麦感がある。
俺は長年の都内勤務においてかなりの頻度で立ち食いソバを食っていたから、この価格帯の味の平均値はそれなりに把握しているつもりだ。これは、お値打ちだなと思った。
道の駅いたこ。寒い空。 |
蕎麦で体内に熱をチャージしたところで、防風ジーンズの裾を靴下にインして防風度を上げ、ネックウォーマーを装着、さらにグローブを厚手のものに換装。この装備にしてからはこの日の温度であればわりと問題なかった。
帰り道はどうしようかと思ったが、霞ケ浦の北側を通って土浦へ抜け、常磐道で帰ることにした。
霞ヶ浦の夕暮れ |
玉造の道の駅で、煙草の一本と写真だけの休憩。20年ほど前にはこのあたりにバス釣りに来たこともあったなあ・・・。相変わらず霞ヶ浦はでかい。
あっという間に夜になった霞ヶ浦大橋 |
土浦から常磐道に入ってからは一気に帰った。
以下はお土産紹介。
わらづとに入った納豆。きっと臭いキツめなんだろうなと思いつつ、パックの納豆しか食ったことのない娘に見せてやりたくて。開けてビニールに入ってたらちょっとがっかりするなあ。どうだろうか・・・。
干し芋。潮来で買ったが、大洗産。材料の芋も大洗産の限定品とのこと。限定と聞くとつい噓くせえなと思ってしまうが、隣で売ってたのは同じような値段で芋は中国産だったので、やはりあれかね。希少なのかね?地元原料は。
「熟成紅はるか」という説明にも惹かれた。芋は、掘ってから置いておくと甘味が増すらしいので。・・・で、これは早速食ってみたが、・・・・美味いよ、これ。少し前にちょっとハマって、そこらのスーパーでいろんな干し芋を買って食ってみたが、俺が食った中ではこれは断トツだと思う。甘いし、つんとするような変な臭いが全然なく、代わりにサツマイモらしい良い香りがある。
「にんべんいち謹製 熟成紅はるか使用」干し芋ね。茨城いったらおススメです。
コメント
コメントを投稿